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理事長室より

同窓会全国の集い(2014年6月23日)

 「下関市立大学同窓会 全国の集い 島根」が6月14日(土)に島根県松江市のホテル一畑で開催された。山陰地方で全国の集いが開かれるのは初めてとのことで、尾添敏郎島根県支部長はじめ島根県支部の同窓生の方々のご尽力でたいへん楽しい全国の集いとなった。島根県支部から28名、全体では134名の出席という盛会であった。来賓として本間下関市副市長、吉津学長、私の3人が参加した。
 尾添支部長は、歓迎の挨拶で、神話の国、神々のふるさとの島根県を紹介され、出雲路の自然・風土に触れ、大らかで壮大な出雲ロマンを感じていただきたい、また、縁結びの神として知られる出雲大社に因んで、同窓生相互の、大学・下関市との新たな縁を結ぶことを願っている、と結んだ。
 柴田勝利同窓会会長の挨拶、3人の来賓の祝辞に続いて、藤原久幸同窓会副会長の発声で乾杯し、懇親会となった。和やかで楽しい懇親の場に花を添えたのは、2つのアトラクション、安来節とどじょうすくい(ふるさと民謡愛好会)と石見神楽「大蛇(おろち)」(倭川戸神楽社中)で、特に神楽「大蛇」は圧巻だった。
 この神楽は「古事記」のスサノヲによる大蛇退治を題材にしたもので、登場は須佐之男(すさのを)、奇稲田姫(くしいなだひめ)、大蛇6頭である(大蛇は通常2~4頭で、8頭もある)。大蛇の頭は火を吐く仕掛けがあり、「蛇胴」と呼ばれる胴体は和紙と竹のみの造りで、太く長く、自在に伸縮してうねりのたうつ大蛇の姿を表現できるように工夫されている。舞台は、鉦(かね)、太鼓、笛のお囃子に合わせて、須佐之男の舞に始まり、大蛇にさらわれた奇稲田姫、踊り狂い・毒酒をあおる大蛇、須佐之男と大蛇との格闘、須佐之男による6頭の大蛇退治、奇稲田姫の救出で幕となった。
 そして、学生歌「青潮ゆたかに」(作詞 山田龍雄(第5代学長)、作曲・編曲 桝谷學(第1期生))の斉唱、次期開催支部の中里寛人長崎県支部長のあいさつと続き、中村信悟同窓会副会長の発声による万歳三唱となった。中村副会長は、島根県支部からの記念品「願い箸」(末広がりのピンセット状の箸)に因んで、上にあげた両手を少し広げるようにと声をかけ、一同で「出雲風」の万歳三唱を唱えた。最後は上原義信同窓会副会長による一本締めで幕となった。

 私は来賓の祝辞のなかで、常日ごろ同窓会にはたいへんお世話になっていることに謝意を表すとともに、同窓会と大学とが連携強化によって相互に発展するよう、出雲大社に因んで縁結びを固くしたいと述べた。また、松江に来たのは2度目で、最初は45年ほどまえのことで、大学卒業後に入社した会社の同期生N君と5月の連休に山口県の小郡から鳥取市までヒッチハイクをし、松江に立ち寄ったことを披露し、明日は出雲大社を参拝したいと述べた。
 松江では、14日に松江城と小泉八雲旧宅を見学し、15日の出雲大社行きとなった。私は一畑電車で車窓に広がる宍道湖などを眺めながら、出雲に向かった。折角の機会なので、雲州平田駅で途中下車し、タクシーで浮浪山鰐淵寺(ふろうさん がくえんじ)と韓竈神社(からかまじんじゃ)と訪ねた。鰐淵寺は、伝承によれば、推古2年(594年)に智春上人が旅してこの地に着き、推古天皇の眼病を治すため、浮浪の滝で祈ったところ平癒したので、天皇の発願によって建立された勅願寺であるとされる。現在は天台宗の古刹であり、武蔵坊弁慶が修行した寺としても知られる。秋にはもみじの紅葉が美しいというが、今は新緑の季節で、緑が目に染みいるような美しさだった。駐車場からの参道はうっそうとした木々と小川の流れる谷に挟まれた小道であり、徒歩約15分で仁王門に着き、その先が本坊でその横に受付がある。案内の方の説明によれば、静かな雰囲気を保ち、自然環境を保護するため、メディアなどでの紹介・案内を避けており、この寺が好きな人たちが訪ねてくるそうだ。108段の石段を登ると、静かなたたずまいの根本堂がある。参拝を済ませ、周囲のお堂や弁慶ゆかりの釣鐘などを見て、受付に戻った時に参拝者がひとりあった。
 韓竈神社は素戔嗚命(すさのをのみこと)を祭神とし、韓竈は朝鮮半島から渡来した釜を意味するとも、溶鉱炉を意味するともいわれる。古事記によれば、スサノヲが新羅に渡ったとする伝承もあるが、この地が朝鮮半島と交流があったことを神社名が示しているといえよう。鳥居のところから急勾配の大小不揃いの自然石の石段を登り、幅45センチほどの巨岩の隙間を通り抜けると、岩壁に囲まれた小さな社が鎮座しており、参拝した。石段の途中で何度か休み、汗をかきながら登り切ると、新緑に囲まれ、涼しい風も吹き抜けており、しばし心地よい気分に浸ることができた。途中では誰にも会わず、社には先着の若いカップルのみであった。社には大学ノートがあり、参拝者が記録を残すことができ、先着の女性が何やら書いていた。私が手に取ったノートはNo.23となっていた。ぱらぱらとみると、参拝の期日と名前の記載が多く、願い事や感想を記しているものもあった。石段を下りてタクシーに乗り込むと、ひざが笑う状態になっていた。
 さて、それからは一路出雲大社に向かったが、途中では日本海に面した十六島(うっぷるい)湾に出た。湾の東側の山地には風力発電の風車が5~6機見え、そのうち1台がストップしていた。風車の羽が1枚欠けており、故障中のようだった。また、タクシーの運転手によれば、湾の東側突端が十六島鼻で、その周辺の岩場で岩海苔が採れ、十六島(うっぷるい)のりとしてブランド化されているという。車はさらに猪目湾に沿って進み、道路の先には「猪目洞窟」(いのめどうくつ)があり、「黄泉の国」への入り口として伝承されているという。文献によれば、この洞窟は出雲風土記に記載の「黄泉の穴」に比定されている。時間の関係で、車は「猪目洞窟」の手前で左折し、海に別れを告げ山道を通り抜け、出雲大社本殿横に無事到着した。
 出雲大社は、周知のことであるが、大国主神を祭神とし、その祭祀は出雲国造が継承しており、現在は千家(せんげ)氏の当主が出雲大社の宮司を務めている。神統譜によれば、イザナキとイザナミの子がアマテラスとスサノヲであり、アマテラスの子は皇室の祖となる天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)と出雲国造の祖とされる天穂日命(あめのほひのみこと)である。そして、スサノヲの子孫が大国主神ということである。
 出雲大社の位置づけに関しては、西郷信綱は「西の出雲が日の入る国であるのにたいし、東方の伊勢を日神の鎮まるべき勝地とする大和中心の宇宙観が働いているはずで、・・・・大国主神と天照大神という神格の成立、杵築大社(出雲大社のこと・・・荻野注)の創建と伊勢神宮の創建とは互いに構造的に対応する」としている(西郷信綱『古事記注釈』第4巻、99頁)。
 出雲大社では60年ぶりの遷宮が行われた。平成20年4月にご神体を仮殿に遷座し、本殿の修造は翌21年に着手し24年3月に完了し、平成25年5月10日にご神体が仮殿から本殿に遷座して遷宮は完了した。われわれは新しく生まれ変わった本殿にまみえることができた。摂社・末社の修造は平成28年まで続けられており、お目当てでもあった素鵞社(そがのやしろ)も修造中であり、祭神である素戔嗚尊は仮殿になっている釜社(かまのやしろ)に遷座していた。出雲大社を駆け足でめぐったあとで、古代出雲歴史博物館を訪れ、出雲地方の遺跡から出土した青銅器や大刀などの見事さに魅入り、しばし古代出雲のクニと文化に思いをはせた。そして時間に急かされるように、出雲大社駅から一畑電車で出雲市駅に向かい、帰途についた。

 かつてのヒッチハイクでは、出雲地方では、出雲大社のほかには、日御碕灯台、出雲地方特有の築地松(家の西側と北側を囲む家の軒より高い松の生垣)、安来の日立金属工場などが記憶に残っていたが、今回は日御碕灯台まで足は延ばさず、列車移動のため築地松を目にすることもなく、日立金属工場はあまり活気を感じられなかった。こんなことを思い出しながら、古代、40年前、現在という通時的な空間を共時的に追体験することができた。

参照資料:石見神楽公式サイト、倭川戸神楽社中ホームページ、出雲観光協会公式ホームページ、中国四国農政局ホームページ「コラム―築地松」、パンフレット「浮浪山 鰐淵寺」「鰐淵」「「韓竈神社由来」の記」「出雲大社参詣案内」「島根県立古代出雲歴史博物館」、西郷信綱『古事記注釈』(ちくま学芸文庫)など。