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理事長室より

「スマホか大学か」論争(2015年4月16日)

 先日行われた信州大学入学式のあいさつで、山沢清人学長は「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」と問いかけた。そして、「スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう。自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てます。」と続けた。(山沢学長のあいさつ全文は信州大学HPに掲載)
 「信大生やめますか」という言葉の妥当性はおくとして、山沢学長の真意は、あいさつのなかで言及している「スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません。」ということを強調したかったのであろう。確かに依存症になれば問題であろう。若者には、依存症、依存症予備軍はかなりいそうである。デジタルアーツ社の意識調査によれば、スマホ(他のネット接続端末を含む)の1日あたり使用時間は、男子高校生の平均が4.1時間、女子高校生の平均が7.0時間だという。
 このような高校生が大学に進学してくるのだから、スマホ依存症の大学生もある程度存在すると考えてよい。信大生にどの程度いるかは不明であるが、学長があいさつでふれているからには、学内調査などによって信大には予備軍も含めて相当程度いて、警鐘を鳴らしたのかもしれない。しかし、スマホ対策はスマホの電源をきることではないだろう。
 この「スマホか大学か」の論争は、メディアやネットで盛り上がったようだが、ここでは、HORIEMON.COMに4月6日付けで記載の朝日新聞デジタルの記事(4月5日付け)に対するコメントのいくつかを紹介することにする。

堀江 貴史
全文読んでもスマホ否定バイアスがあることは間違いない。スイッチ切らずともスマホで情報収集できるSNSでの専門的議論は現実世界よりも多様な人々と交流でき、ブログやSNSでのアウトプットは考える力や文章力を飛躍的にアップさせる。スイッチ切ったらこれ全部できない。明らかに学生をミスリードしてる。真面目君はこの学長の話聞いてスイッチオフにする事が良いことだと盲信してしまう。良くないことだ。

柿原 正郎
1) マスメディアによる「言葉の切り取り」の典型事例。
2) あいさつ全文を読むと、共感できる部分も多々あり、全体的には悪い内容ではない。
3) 僕が一番気になったのは、このスマホ否定とも取れる発言を「うっかり」してしまった山沢清人学長が、(中略)バリバリ理系の半導体の専門家だということ。(中略)こういった発言は、内輪の仲間内か、飲み屋での与太話のレベルに留めて欲しいものである。

成毛 眞
このニュースが話題になっているようだが、賛否両論しているのはおぢさんおばさんたちだけかも。信大生「どっちも無理っすw」

荘司 雅彦
いやしくも国立大学法人の学長が、(中略)一律にスマホ利用者の人格を傷つける発言をするのはいかがなものでしょうか?
人権感覚が乏しいのでしょうか・・・。

 実は、スマホ問題については、この「理事長室より」の「スマホか本か・読書再論」(2014年12月15日付け)で論じたことがある。これは、主にNHKのクローズアップ現代「広がる“読書ゼロ”~日本人に何が~」(2014年12月10日放送)の内容紹介であり、立花隆による読書論も取り上げた。スマホ問題を考えるうえで、参考になると思われるので、立花読書論を再掲する。

 立花は、スマホの向こうにネットを通して、ほとんど人類が持っている知識の全体があり、引き出し方いかんでどんな情報でも取れるとして、スマホが問題だという議論はなりたたない、そこからどういう情報を拾い上げて、どういう自分なりの脳を創り上げていくかが大事だ、と主張する。その上で、ネットだけでは掘り方が浅くなる、もっと深く掘りたいと思うときは、本や他の手段を通して、より深い情報が必要になるステージがくる、と指摘する。
 また、立花自身の若い時の知的形成にとって、何が役立ったかという、司会の国谷裕子の問いかけに対して、立花隆は、間髪をいれずに、それは圧倒的に本を読む経験であると応じた。そして、本はひとまとまりの知識であり、本を読むことによって、本に封じ込められていた知識を獲得できる。人間の頭脳は「知情意」の総合的な構成物であり、本は「知情意」を追体験でき、そこから学習することができる総合メディアである、とする。その上で、思考力を鍛えるには、本を読むだけではなく、書くことが一番役に立つ、と断言した。

 私も研究や職務に取り組むうえで、情報を収集するためにネットを大いに活用しているし、ネット上で研究者や評論家などを検索する。また、ちょっとした情報の確認にもネットは大変有用である。今やネット情報なくして、研究も教育も成り立たなくなっているといっても過言ではない。スマホはそのネット空間につながる重要な端末であり、立花の言う通り、「ほとんど人類が持っている知識の全体」への入り口となる。スマホを使いこなすためには、工夫と知恵が必要になる。このことこそ論ずべきテーマといえよう。

 「スマホか大学か」問題に戻れば、山沢学長の二律背反的な問いかけに対しては、スマホはやめない、大学もやめないという、ごく普通の反応が多いなかで、大学やめる派もいる。スマホ禁止ならやめるというのだが、大学を退学する学生が少なからず存在するという現実を踏まえれば、大学をやめる本当の理由は、大学で学ぶ意味を見出すことができないことかもしれない。大学にとっては、スマホ問題よりもこちらの方が深刻である。
 各大学とも学生の退学問題には真剣に対応してきているが、抜本的な打開策は見えてこない。大学は3つのポリシーといって、アドミッションポリシー(入学者受け入れの方針)、カリキュラムポリシ-(教育課程編成・実施の方針)、ディプロマポリシー(学位授与の方針)を策定し公表している。これら3つの方針が適切であり、それに適った入学者選抜と大学教育が行われ、卒業に相応しい知識と能力を身に付けているのであれば問題はないが、現実は様々な要因から必ずしもそうはなっていない。大学を巡る社会環境、スマホ問題も含めた現代学生気質などを踏まえた大学教育の在り方が模索されているのが現状である。問われているのは、大学だけではなく、大学人もである。大学人がそれぞれの立場で、どのように大学教育に立ち向かっていくのか、その覚悟と実践が問われているのである。