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理事長室より

伊丹十三(2014年5月7日)

 今年の3月1日に初めて松山を訪ねた。当日、私の九大経済学部時代のゼミ生であったM君の結婚式が道後温泉であり出席するためであった。お相手は素敵な女性であり、よき伴侶をえて、M君は幸せいっぱいだった。
 折角の松山であり、市内を散策するとともに、1日は子規記念館、2日は松山城、伊丹十三記念館を訪れた。ここでは伊丹十三記念館にだけふれることにする。伊丹十三は妻・宮本信子主演の「お葬式」「マルサの女」など一連の映画の監督としてよく知られている。私もかなりの映画作品をみているが、私の伊丹十三初見はテレビ作品「天皇の世紀」であった。大佛次郎『天皇の世紀』を映像化したもので、私がみたのは、紫宸殿をなめるように映した後で、伊丹が場面ごとに解説を加えつつ、ときどき本人が登場する、というドキュメンタリー・タッチの構成であったと記憶する。モノカラーの明るいトーンの映像とともに、ドキュメンタリー・ドラマと呼ばれる手法の新鮮さと伊丹の声色と振る舞いによって、この作品は妙に印象に残った。このシリーズは何回か連続したようだが、私のみたのはこれ一回だけだった。伊丹とは映画で「再会」するまで離れていたが、「天皇の世紀」の方は、朝日新聞連載の時は途中で読むことを断念したが、その後朝日文庫版で全17巻を読みあげた。この作品は歯ごたえのあるものだが、ある程度読み進むと、明治維新に対峙する大佛の息遣いとダイナミックな歴史の展開とに引き込まれ、巻を措くあたわずで読み終えた。この作品は未完のままで終わっているが、あたかも歴史の余韻を残したようにも思えた。この作品は明治維新という変革期における政治と人間について深く考えさせてくれたもので、学生諸君には難度の高い作品かもしれないが、チャレンジに値するものとして推薦したい。明治維新に関する歴史書は数えきれないほどにのぼるが、私にとって歴史を学ぶ古典のひとつとなったものに遠山茂樹『明治維新』(岩波全書、1951年、岩波現代文庫版、2000年)がある。こちらも難度は高いと思われるが推薦しておく。
 さて、伊丹十三のことであるが、伊丹映画が話題になるとともに、ある程度の知識を持つようになった。伊丹が松山に縁があることは知っていたが、松山に伊丹十三記念館があるとは知らなかった。観光パンフレットでその存在を知り、わずかの時間しかなかったが記念館をあわただしく訪れた。
 ややスロープを下がったところに静かなたたずまいの平屋の四角形をした建物が記念館だった。玄関を入るとパッと明るい空間が開け、見回してみると受付の方を除くと人の気配が感じられないほどシーンとしていた。受付の方に記念館がどうしてこの地に建てられたのか、と尋ねると、この土地は伊丹十三が父親で映画監督だった伊丹万作の記念館を作るために確保していたがご自身がなくなり、妻の宮本信子さんが伊丹十三記念館を作りたいと希望して建てられたとのことであった。常設展示室は「十三」にちなんで、13のコーナーに分けて展示がなされている。展示室に入るとかなりの人たちが静かに、あるいはささやきながら展示に見入っていた。記念館の詳細については、糸井重里氏が主宰するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載された「やあ、いらっしゃい―中村好文さんと歩く、伊丹十三記念館」(2009年10月21日更新)を参照されたい。中村好文氏は伊丹十三記念館の設計者である。
 展示室などを回ってエントランスホールに戻ると、ミュージアムショップがあり、伊丹十三に関連した書籍やグッズなどが並べられている。ここで、「考える人」編集部編『伊丹十三の本』(新潮社、2005年)と『伊丹十三の映画』(新潮社、2007年)、そして「十三饅頭」を購入し、帰途の列車の時刻を気にしつつ、タクシーで松山駅に戻った。その後のことになるが、「伊丹十三記念館」のHPにある「記念館便り」によれば、3月22日に開館以来の入館者が13万人を突破し、「十三」万人目の入館者には「十三饅頭」を贈ったという。
 購入した2冊の本は、帰途の車中から読みはじめ、帰宅後も読み継ぎ、数日にしてほぼ読み終えた。伊丹十三の映画作りの舞台裏は興味深く読んだし、伊丹十三のエッセーを巡るエッセーもたいへん面白く読んだ。それぞれひとつずつ紹介しよう。
 山﨑努といえば、伊丹作品を代表する俳優で、ほとんどの映画に出ているような気がしていたが、10作中で出演は最初の3作と最後の1作だけという。山﨑によれば、伊丹作品に出なくなったのは、「彼の演出と、僕の演技・・・・・・というか役作りの仕方がちょっとかみ合わなくなってきたからなんです」。「(僕は)のりしろのある演技を理想としているところがあるんです。ところが伊丹さんは植木一本、花一輪に至るまで入念に設計して、完璧にその設計通りの庭を造ろうとしてた。一挙手一投足にまでこだわって演出してた」「本数を重ねるほどに、その傾向が強くなってきた。雑草の生える余地がなくなってきた(笑)。それで僕は息苦しくなっちゃったんです」と書いている。
 また、椎名誠は伊丹十三のエッセーについてこう記している。「うまいエッセイを書く人を三人挙げろと言われたら、躊躇なく東海林さだお、山下洋輔、伊丹十三のお三方! と胸を張って申し述べることができる」。「伊丹十三の手がけるエッセイの題材はそのひとつひとつがこの人の全映画作品に拡大成長できるような、時代のきっさきをとらえた機知に富んだものばかりだった。それらのエッセイがぎっしり詰まったタカラモノの箱のような一冊の本、例えば『日本世間噺大系』。目次に並ぶタイトルだけでももうそれを見たとたん、伊丹エッセイの術中にはまっていることを知る。例えば「走る男」「肋骨」「ぷ」「背骨の問題」「ダイフク」「天皇の村」「プレーンオムレツ」「スーパー民主主義」「生理座談会」「クソ水」といったような百花繚乱ぶりである。どれもけたたましく不思議な面白さに満ちた話ばかりだ」。私が松山行きの前に読んだ唯一の伊丹本がこの『日本世間噺大系』(新潮文庫、2005年)だった。題名にひかれて買ったような気がする。
 そして、松山行きの後に購入したのが、『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫、2012年第12刷)と『女たちよ!』(新潮文庫、2012年第10刷)である。椎名の例にならって目次の一部を紹介しよう。『女たちよ!』には、「スパゲッティのおいしい召し上がり方」「チーズについた指のあと」「トイレットの中の賞状」「犬の歯を抜く話」「無駄なことです」「二日酔について」「死に至る病」「落第のすすめ」「世界一のマッチ」「カルピスとコカコーラ」「深夜の客」「目玉焼の正しい食べ方」「ひとつ ふたつ みっつ」などが並ぶ。
 『ヨーロッパ退屈日記』には、「わたくしの職業」「大英帝国の説得力」「想像力」「マドリッドの北京」「ロンドンの乗馬靴」「原子力研究所員の恐怖」「原則の人」「ハイヒールを履いた男たち」「わたくしのコレクション」「リチャード・ブルックスの言葉」「英国人であるための肉体的条件」「エルメスとシャルル・ジュールダン」「キリストさまたちとマリアさまたち」「三船敏郎氏のタタミイワシ」「最終楽章」などである。この本は「伊丹十三入門書」といえるもので、この本で伊丹十三にはまった人が多いようだ。また、この本に収められている山口瞳「伊丹十三について」がすごい。「伊丹のいいところは、人間としての無類の優しさにある。そうして、その優しさから生ずるところの「男らしさ」にある。優しさから生まれた「厳格主義」にある。いつだって、どんなことだって彼は逃げたことがない。私は、彼と一緒にいると「男性的で繊細で真面(まとも)な人間がこの世に生きられるのか」という痛ましい実験を見る思いがする」と書いている。この文章は1965年出版のポケット文春版の裏表紙のために書かれたものであり、1965年時点で伊丹の未来をずばりと言い当てているように思える。
 伊丹十三のエッセー集は項目の一部だけを紹介したが、興味をお持ちの方は読んでみてはいかがでしょうか。そして、伊丹映画に関心がある方には、『伊丹十三の映画』はお薦めです。