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理事長室より

「戦後70年」(2015年1月29日)

 今年(2015年)は戦後70年ということで、メディアをはじめとして、この戦後70年を検証することがなされている。あの戦争の敗戦体験を真摯に反省し、戦後日本は平和国家として再出発することを誓い、新たに憲法を制定した。その後、日本は戦争に直接加わることなく、平和国家としての体制を維持してきた。しかしながら、世界では、平和に脅威をもたらす国家、他国への軍事介入、内戦、武装勢力による戦闘・テロなど、世界平和を脅かす出来事が頻発するようになった。このような状況への対応をめぐって、日本国内でも活発な論議がなされているが、今日の日本は平和と戦争の関係で極めて重大な岐路に立っているように思われる。
 今回は、戦後70年の前提となったあの戦争、そしてそれに帰結した明治以降の日本と戦争とのかかわりを論じた2冊の本を紹介することにしたい。

 まず、半藤一利『あの戦争と日本人』(文藝春秋、2011年、文春文庫、2013年)を取り上げる。半藤は、雑誌『文藝春秋』の編集長を務めたジャーナリストで、「歴史探偵」を自認する作家である。1945年8月15日に敗戦を迎える戦争は、「太平洋戦争」「大東亜戦争」「十五年戦争」「アジア・太平洋戦争」などと呼称されているが、本書の題名について、半藤は「このごろの日本では、名称ひとつにもイデオロギーが想像以上に加味されていて、窮屈でなりません」「それで、とにかく余計な誤解を生まないように、今回は「あの戦争」と題することにしました」としている。
 この本の全11章のタイトルは「○○と日本人」となっている。それを「と日本人」を省略して順に紹介すると、幕末史、日露戦争、日露戦争後、統帥権、八紘一宇、鬼畜米英、戦艦大和、特攻隊、原子爆弾、八月十五日、昭和天皇の11章で、最後に「新聞と日本人―長い「あとがき」として―」がおかれている。あの戦争を語るのに、幕末史から始めるのは、昭和史をかき回した「統帥権」の芽が幕末に生まれており、また幕末に形成された「攘夷」の精神があの戦争のときに呼び覚まされたことによる。
 この本には幕末からあの戦争に至るまでの重要な事柄が詰まっているが、ここでは2点だけ紹介しよう。まず「統帥権」(=軍隊指揮権)の独立。明治10年、山県有朋によって参謀本部が設置され、山県が参謀本部長に就任した。参謀本部条例では、参謀本部は天皇に直率した独立の軍令機関であり、参謀本部長は軍隊に関する命令事項を陸軍卿(のち陸軍大臣)に伝えて実行し、戦時には全軍を統率して作戦を実施することを定めた。さらに「帷幄上奏権」と「軍部大臣現役武官制」が加わることによって、昭和戦前期には陸軍は政治に介入し、政治を動かすことになった。もうひとつは日露戦争後の選択。日露戦後に世界の列強の仲間入りをした日本は、これから「大日本」主義でいくべきか、「小日本」主義でいくべきかの選択を迫られた。日本人は身分不相応ともいえる大国主義を選択し、それが帝国主義への道につながったのである。
 なお、半藤には『日本のいちばん長い日 決定版』(文藝春秋、1995年、文春文庫、2006年)という著作がある。「日本のいちばん長い日」とは、1945年8月14日正午から8月15日正午までの24時間のことである。この本を読むまでの私の知識は、いわゆる「玉音放送」録音盤の奪取未遂事件、阿南陸相の自決、陸軍将校の徹底抗戦の動きなどであった。本書が明らかにしたことは、近衛部隊による宮城占拠のクーデタ計画が進行していたという驚くべき事実であった。歴史を直視するためにも本書を読むこともすすめる。

 もう1冊は、原朗『日清・日露戦争をどうみるか 近代日本と朝鮮半島・中国』(NHK出版新書、2014年)である。原は東京大学名誉教授、専門は現代日本経済史で、特に戦時経済の研究を切り開いた先駆者である。個人的にいえば、原先生は私の大学院時代の恩師であり、公私とも大変お世話になっており、本書も恵与くださった。
 この本の目的は、「「戦争」をテーマに「近代日本」を考えていきながら、いま現在の近隣諸国との関係の、いわば原点のようなものをとらえなおしてみること」だという。原は、半藤とは異なる視点であるが、日中戦争および太平洋戦争の原因を考える場合、「満州事変」「第1次世界大戦」、さらに日清戦争・日露戦争、さらには「征韓論」にまでさかのぼって考える必要があるとする。章別構成をみると、序章 近代日本の戦争について、第一章 日清戦争―「第一次朝鮮戦争」、第二章 日露戦争―「第二次朝鮮戦争」、第三章 韓国併合と対華二十一カ条要求、第四章 「世界大戦」―その影響、終章 次の「世界大戦」―その予兆、となっている。なお、次の「世界大戦」とは、第二次世界大戦のことである。
 ここからも分かるように、日清・日露の戦役の戦争目的が朝鮮半島の支配権を争うものであり、戦場も当初はほとんどが朝鮮半島であったことを重視して、「第一次朝鮮戦争・第二次朝鮮戦争」を名づけた方が「実相」に近いとする。そしてこの2つの戦争の結果、日本のまわりの諸地域との関係でどのような状況が生まれたのかをつぶさに解き明かす。そして、最後に昭和初期の近隣地域との軋轢の流れの中で進行するアジア太平洋戦争への道について大観している。

 以上の簡単な紹介からも分かるように、半藤と原との間には視点の違いがある。あの戦争に至る芽とその成長について、半藤が徹底して国内に視点を絞るのに対して、原は対外関係を重視する。2つの視点からは異なる世界が見えてくるが、我々読者としては、両方の眼を大切にしながら、あの戦争を振り返ってみることが必要であろう。もう一つは、両著の司馬遼太郎『坂の上の雲』との距離感である。半藤は「明治というのは、司馬さんの言葉を借りれば、「坂の上の雲」という一つの理想を求めた時代。日本人が、植民地にされないような強い独立国家を作ろうと真剣に努力を傾注した時代」とする。原は司馬が『坂の上の雲』で「明るい明治」と「暗い昭和」との対比を意識したため、朝鮮問題をほとんど無視したのだろうと推定している。そして、高度成長期の「明るい昭和」を肌身につけた読者は、この小説が展開する「明るい明治」を自らが体験しつつある「明るい昭和」に重ね合わせて共感した、と思われるとした。司馬は「暗い明治」=「坂の下の沼」についても『坂の上の雲』でも触れているが、半藤は「司馬さんは、昭和史を「非連続というか、まったくわからない。この時代を考えると、魔法の森に入っていくような感じになる」といっていました」と紹介し、「司馬さんとの「あの戦争」論議のつづきを、というつもりで、本書を書きました」と記している。